ファイターズの中田翔

2007年10月3日、そのとき僕は、北海道の田舎町に住む中学生だった。

好きな球団は、北海道日本ハムファイターズ

 

僕は放課後、職員室に行って、担任の先生に聞いた。

「日ハムの1位誰ですか!?」

 

野球好きだった担任はもちろんネットニュースでその結果を見ていて、

嬉しそうに僕に言ってきた。

 

「中田。大阪桐蔭中田翔! くじで日ハムが当てた!」

 

 

この年の高校生ドラフトの目玉選手は3人いた。

千葉の成田高校エース・唐川侑己

甲子園で155キロを計測した仙台育英高校の剛腕・佐藤由規

そして、大阪桐蔭高校中田翔だった。

中田は高校通算87本塁打(甲子園でも4本)を放ち、超高校級のスラッガーとして注目されていた。

 

僕は嬉しかった。これでもっとファイターズが強くなると思った。

 

2007年のファイターズといえば、打撃では森本稀哲田中賢介の1、2番コンビが出塁し、稲葉篤紀フェルナンド・セギノールらが返すという攻撃の流れがあり、リーグ連覇もしたものの(日本シリーズは敗退)、小笠原道大や新庄剛が抜けた穴は大きく、貧打のイメージは拭えなかった。

 

中田はファイターズを代表するバッターになってくれるに違いない!

僕はそう思っていたし、実際にそうなった。

 

3年目にレギュラーに定着し、18本塁打を放った。

2012年に栗山監督が就任し、絶対的4番として起用され、シーズン全試合で4番として出場し、24本塁打77打点でチームをリーグ優勝に導いた。

開幕19打席無安打(2011年)や開幕24打席無安打(2012年)など不調に苦しむこともあったが、それでも4番として必ず結果を出し、チームを勝利に導き、タイトル獲得や侍ジャパン選出など、どんどん野球選手としての格を上げていった。

 

しかし、2017年の中田翔はどこかが違っていた。

開幕から打撃不調が続き、6月以降は3番に入ることも多くなった。7月8日のソフトバンク戦では1番として出場し、話題を呼ぶなどしたが、打撃は振るわず、最終的には打率.216、16本塁打、67打点と4番としてはあまりに物足りない成績で、レギュラー定着後最低の数字となってしまった。

 

「中田、最後はひどい成績だったな。」と僕は思った。

 

「最後」というのも、この年中田が国内FA権を取得していたことが理由だった。

ファイターズは基本的にFA宣言した選手をマネーゲームに参加してまで引き留めたりはしない。主力選手の流出はもはやお家芸みたいなもので、ファンとしても驚かない。

そして、中田のこの成績では年俸ダウンは必至。FA宣言をして同額程度の年俸かそれ以上を提示する球団に移籍するものだと思っていた。

 

しかし、中田翔は2018年のシーズンをファイターズのユニフォームを着て迎えた。

「不甲斐ない成績でチームを去ることはできない。」と残留を表明したのだった。

 

そして2018年の中田は、復活しつつある。

19試合に出場して6本塁打。開幕直後は打率1割台と低迷していたが、それも徐々に上がってきた。

29歳の誕生日である4月22日、第3打席の内角高めのボール球をぶち上げると、レフト中段に叩き込むバースデーアーチを放ち、この日は5打点と大活躍。やっと「恐い」中田翔が戻ってきたと思える試合だった。

 

ああ、中田が活躍し始めた。

「不甲斐ない成績でチームを去ることはできない。」という中田の言葉の裏を返せば、「納得できる成績を残したらチームを去る。」ということだ。

 

ファイターズには「選手の総年俸は25億円が上限」という鉄の掟があるとされている。そのため、ひとりの選手に払える最大の年俸は2億5000万円前後が限界だ。今年の年俸が2億円(推定)の中田は、そろそろ日本ハムでは抱えきれなくなってくる。

 

 

そして一度獲得したFA権は、行使しない限り持ち続けることになる。

中田はもう、いつでもファイターズから出て行くことができるのだ。

 

僕があのドラフトの日から期待した、「4番中田」は現実のものとなった。

復活の兆しを見せる中田翔。ファイターズ最後の打席が来る日はまだ先であってほしいという思いも現実になってほしい。